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東京地方裁判所 平成3年(わ)1519号 判決 1992年4月09日

主文

被告人を懲役二年に処する。

この裁判の確定した日から五年間、刑の執行を猶予する。

被告人から九一二〇万円を追徴する。

理由

【認定事実】

〔第一の犯行に至る経緯〕

被告人は、第一東京弁護士会所属の弁護士で、東京都中央区《番地省略》Fビル二階にA法律事務所を設けて弁護士業務に従事していた。

加商株式会社(以下「加商」という。)は、食料品、生ゴム等の貿易業務等を行う中堅商社であり、その代表取締役社長には、昭和四八年から平成二年一二月まで、Bが就任していた。被告人は、昭和四〇年代後半ころ、加商との間で顧問弁護士契約を締結し、主に国際取引の契約書類の点検や株主総会対策等の仕事を担当していた。

地産グループは、株式会社地産を中核とし、株式会社G等多数の会社を傘下に治める企業グループであり、昭和六二年八月末から九月初めにかけて、加商株一二四〇万三〇〇〇株を単価一四〇〇円で取得して、加商の発行済株式の約三七パーセントを所有する筆頭株主となり、その後も、加商株を買い増していった。地産グループ各社を総括する最高責任者であったCは、加商が被告人の指導に従って動いているものと判断して、被告人に接触し始め、平成元年に入ってからは、取得した大量の加商株を背景に、加商に対し、業務提携、役員派遣等を要求するようになった。

こうした中で、加商のメインバンクである東京銀行及び準メインバンクである太陽神戸銀行は、加商と地産グループとの間に仲介に入って話し合いを進め、平成元年八月上旬、Cを加商の取締役に就任させることなどを内容とする調停案を提示し、加商、地産側とも、いったんはこれを受け入れる意向を示したが、八月二九日にBと被告人がCと会談して経営方針が根本的に異なることを知ったことから、九月初めに加商がこの調停案を拒否した。

このように、加商が銀行の調停案を拒否して、地産グループへの対応が振出しに戻ったところ、被告人は、平成元年九月六日、加商から、役員派遣問題等について地産側と交渉することを依頼されて、これを受任した。その際、被告人は、Bに対し、Cの次男Dを非常勤取締役として受け入れることで交渉してはどうかと提案し、Bの了解を得た上、九月一一日、Cにこの案を伝えてその内諾を取り付けた。ここに、地産グループからの役員派遣問題については、一時的な解決を見た。

第一(犯罪事実)

被告人は、弁護士として加商から事件を受任していたが、平成元年九月二〇日、前記A法律事務所にやって来たCが「加商の件ではいろいろお世話になりました。今後ともよろしくお願いします。」「この中には、お礼として小切手が入っております。」と言って封筒を差し出すと、Dを加商の非常勤取締役として受け入れるについて尽力してくれた謝礼及び今後とも地産グループのために種々の便宜を図ってほしいという趣旨で供与されるものであることを知りながら、その場で、株式会社G振出しの額面八一〇万円(一〇〇〇万円から所得税を源泉徴収した金額)の小切手一通を受け取り、受任している事件に関し相手方から利益を受けた。

〔第二の犯行に至る経緯〕

被告人は、引き続き、地産側への対応について加商から委任を受けていたところ、平成二年に入って、BがCから、加商の代表取締役を辞任するように迫られたり、加商の業績不振を非難されたりした上、五月二五日に被告人とBがCに会った際、C本人を加商の非常勤取締役に就任させるように要求されたため、以後、Bが怖がってCに会うのを避けるようになっていた。

第二(犯罪事実)

被告人は、弁護士として加商から事件を受任していたが、平成二年六月二一日、前記A法律事務所にやって来たCが「先生の方から、B社長に、私との話し合いに応じるよう話していただけませんか。お力添えをお願いします。」「先生には、加商の件では、大変お手数をかけておりますが、一つよろしくお願いします。」と言って封筒を差し出すと、Cからの要求に関してBがCとの会談に応じるように尽力してほしいという趣旨で供与されるものであることを知りながら、その場で、現金三〇〇万円を受け取り、受任している事件に関し相手方から利益を受けた。

〔第三の犯行に至る経緯〕

被告人は、平成二年七月二日にBとCとの会談を実現させたが、その席で、BがC本人ほか一名を加商の役員に就任させるという新たな要求を出された上、七月九日までに代案を出すように迫られたことから、Bに対し、地産グループの所有する加商株を買い取るかどうかを決断するように促していたところ、七月九日、加商から、加商株全部の買取りについて地産側と交渉することを依頼されて、これを受任した。その後、被告人は、Cに加商の意向を伝えて交渉を続けたものの、地産側が売渡価格を一株二五〇〇円とすることに固執して譲らなかったため、これを受け入れることとし、七月三一日になって、加商と地産側との間で、B又はその指定する第三者が八月三一日までに地産グループの所有する加商株合計一三一六万一〇〇〇株を単価二五〇〇円、合計三二九億二五〇万円で買い付け、その代金が支払われない場合には加商が地産グループの傘下に入って経営につき地産グループの指導を受けるという条件で合意するに至った。

第三(犯罪事実)

被告人は、弁護士として加商から事件を受任していたが、平成二年七月三一日、東京都渋谷区《番地省略》渋谷道玄坂ビル株式会社チサンレストラン「旬の館」において、加商と地産側との合意に関する契約書に立会人として署名押印した際、Cから「今回は大変ありがとうございました。」「今後は、契約書のとおり実現できるようよろしくお願いします。」「先生には、いずれ改めてお礼をさせていただきます。」と言われ、合意が成立したことに対する謝礼及び今後とも合意事項の履行につき尽力してほしいという趣旨で相当額の金銭を供与したい旨の申し出であることを知りながら、これを承諾し、これに基づいて、平成二年九月六日、前記A法律事務所において、Cから秘書のEを介して、株式会社G振出しの額面八〇一〇万円(一億円から所得税を源泉徴収した金額)の小切手一通を受け取り、受任している事件に関し相手方から利益を受けた。

【証拠の標目】《省略》

【法令の適用】

罰条

第一から第三の各行為につき

いずれも弁護士法七六条、二六条

併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い第三の罪の刑に法定の加重)

刑の執行猶予 刑法二五条一項

追徴 刑法一九条一項三号、一九条の二

【量刑の事情】

一  本件は、加商の顧問弁護士であった被告人が、加商株を大量に取得した地産グループの総帥Cから加商に要求されていた業務提携、役員派遣等に関し、地産側との交渉等を任せられながら、相手方であるCから、謝礼等の趣旨で、三回にわたり、総額九一二〇万円の小切手や現金を受け取ったという弁護士法違反の事案である。

二(1)  弁護士は、法曹として、誠実に職務を行い、公正であることが強く要求されているのであり、受任している事件に関し相手方から利益を受けてはならないことは、弁護士が当然のこととして遵守すべき最も基本的な弁護士倫理である。被告人が弁護士としての職責の重さに思いを致すことなく、Cから提供されるまま、いとも簡単に、利益を受けたことは、厳しく非難されなければならない。

(2)  加商は、長年にわたって顧問弁護士契約を継続してきた被告人の能力と見識に全幅の信頼を置いて指導を仰いできたのであり、被告人が行ったことは、加商の関係者に対する著しい背信行為である。信頼を裏切られた関係者の気持ちは、「絶対に許せない行為だと思います。」というBの言葉に如実に表れている。

(3)  被告人が得た利益は、小切手二通の額面合計が八八二〇万円、現金が三〇〇万円、総額で九一二〇万円に及んでおり、類例を見ない多額の利益を得たというべきである。

(4)  被告人は、平成三年六月にCが所得税法違反で逮捕されたことを知るや、本件の発覚を恐れて、事務員にCの取調状況を調査させたり、地産側の関係者に電話して口裏合わせを示唆したり、さらには、自ら虚偽の証拠を作出するなどして、罪証隠滅工作を行ったのであり、犯行後の行動も悪質である。

(5)  被告人の行為は、弁護士全体に対する人々の信頼を著しく損なったものであり、社会に与えた衝撃や影響の大きさも無視することができない。

以上の点に照らすと、被告人の刑事責任は重いというべきである。

三  一方で、被告人に有利に考えるべき事情として、次の点を指摘することができる。

(1)  地産側への対応について委任を受けていた被告人としては、地産グループが加商の筆頭株主である以上、その意向を全く無視することはできず、地産グループの法的な利益に配慮しつつ、加商に有利な解決を探る必要があったのであり、いわば仲介人的な役割を担っていたということができる。この点において、本件における被告人の立場は、通常の訴訟事件の代理人とは異なる面がある。

(2)  被告人は、加商を代理する弁護士として、当時の情勢を踏まえつつ、加商にとって有利になるように事を運ぼうと努力していたのであり、Cから小切手や現金を受け取ったことにより加商の利益に反する行動をとった事実も、加商に実害を生じさせた事実も、認めることができない。

これを具体的にみると、地産グループと加商との対立は、最終的に、加商が地産側の提示する条件を受け入れて、地産グループの所有する加商株全部を単価二五〇〇円で買い取ることにより決着が付いたのであるが、被告人は、当時加商の業績が不振で、地産側から法的手段で攻められれば加商に不利な状況になると考え、Cを避けるBを説得して両者の会談を実現させ、地産グループから加商を防衛するには加商株の買取りしか方法がないと判断して、その決断をBに促したのであり、これらの点について、被告人が加商の利益に反する行動をとったと評価することはできない。また、買取価格が一株二五〇〇円であった点についても、当時の加商株の市場価格に照らすと、加商にとって不当に不利な価格であったということはできない。

(3)  被告人が受け取った小切手や現金は、Cの方から提供してきたものであって、被告人が謝礼等を要求したり、ほのめかしたりしたことは、一切なく、金額についても、Cが一方的に決めたものである。

(4)  被告人は、長年、弁護士として職務を全うしてきたほか、日本大学法学部教授、警察大学校の講師その他の公職に就き、相当な社会的貢献をしてきた。

(5)  被告人は、本件で、著名な弁護士による高額の弁護士汚職として大々的に報道されて、社会的に厳しい非難を受け、また、勾留中に、一日たりとも弁護士の登録をしておくべきではないという思いから、第一東京弁護士会に退会届けを提出するとともに、日本弁護士連合会に弁護士名簿登録の取消請求をして平成三年七月一六日付けで弁護士名簿登録を取り消され、併せて税理士登録の抹消届けを提出し、さらに、会社の顧問や役職等をすべて辞任したのであり、相応の社会的制裁を受けている。

(6)  被告人は、弁護士全員の信用を傷つけたことに対する謝罪の気持ちから、本件で受け取った源泉徴収前の金額である一億一三〇〇万円を法律扶助協会に贖罪寄付した。

(7)  被告人は、公判廷において、「誠に恥ずかしく、誠に申し訳なく、本当にざんきに耐えない。」「今後、一生謹慎を続けるつもりである。」と供述するなど、反省の態度が顕著である。

(8)  被告人にとって本件が初犯である。

四  これらの諸事情を総合して考慮すると、被告人に対しては、主文のとおり、懲役二年の刑を科した上、五年間その刑の執行を猶予し、被告人が実際に受けた利益である九一二〇万円を追徴するのが相当である。

(裁判長裁判官 山室惠 裁判官 大澤晃 裁判官村田渉は、転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官 山室惠)

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